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FIM-43 レッドアイ()は、ジェネラル・ダイナミクスが開発した携帯式防空ミサイル・システム(MANPADS)である。ミサイルの誘導方式としては赤外線ホーミング(IRH)を使用する。レッドアイ IIを見越して1969年9月の生産終了までにおよそ85,000発が製造されたが、レッドアイ IIは実現せず、後継のFIM-92 スティンガーに移行した。スティンガーの配備が開始されたため、レッドアイは1982年から1995年の長期にわたって徐々に退役した。 == 開発 == アメリカ陸軍は、機関砲が新型の高速ジェット機に対して効果が薄いとわかっていたため、1948年から新しい歩兵用対空兵器を模索し始めた。いくつかの火砲やロケット弾・システムが調査されたが、いずれも開発を続行するに十分な有望な結果を示さなかった。1950年代中頃に、コンベアは歩兵1人で運搬できる赤外線誘導ミサイルの研究を開始した。1956年11月に、これらの研究の結果は、アメリカ陸軍及びアメリカ海兵隊に示された。1957年に公式な要求仕様が明確に示され、1958年にコンベアはシステムの開発を開始する契約を与えられた。 開発プロジェクトは1959年7月に開始し、1960年3月に最初のテスト弾が発射された(この時はまだ個人携行用発射機からではなかった)。それに続いて1961年5月に発射管からの発射が実施され、10月には肩からの発射も実施された。1962年には、ミサイルの全規模生産に入る準備ができていたが、ミサイルは、技術的問題により当初の計画よりも遅く、扱いづらく、精度も悪く、要求仕様を実現していなかった。しかし、それでもまだ当時の他のどんな歩兵用地対空兵器よりも優れていたため、防空兵器システムとして限定生産が承認された。 限定生産がXM41 レッドアイ ブロック I として始まった。ミサイルは1963年6月にXMIM-43Aに指定された。ブロック I システムは、それから1965年~1966年の間に評価された。 XM41E1と称されるブロック II システムは、1964年に開発が開始され、ミサイルはXMIM-43Bに指定された。赤外線センサには冷却措置を導入して感度を向上しており、またわずかに再設計された発射機と改善型弾頭を備えていた。ミサイルは1966年4月より納入された。 1965年から1966年に、ジェネラル・ダイナミクスは最終型のレッドアイ ブロック III 構成を開発した。これは当初XM41E2と呼ばれ、後にXFIM-43Cに指定された。ミサイルはブロック II ミサイルからシーカーを引き継いだが、新型のロケット・モーター、弾頭及び信管を持っていた。また、その時発射機も、XM-62オープン・サイト及び改善された電子装置を装備した。新しいミサイルは、最高3Gで旋回することができ、ジェット機に対する命中率は、陸軍によって0.4と見積もられた。ブロック III システムの生産は、1967年5月から始まった。1968年に、ブロック III は作戦運用開始が決定された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「FIM-43 (ミサイル)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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